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大山祇神社
天照大神の兄神(あにがみ)にあたる大山積大神(おおやまづみのおおかみ)を祀り、日本総鎮守として、山の神、武人の神として信仰され、多くの武将達が参拝に訪れていました。その歴史は神代の時代に始まり、社伝によると、神武天皇(東征磐余彦尊)が日向を...
発ち、奈良盆地とその周辺を統治していた長髄彦に勝利し、はじめて天皇位についたという一連の説話である「神武天皇東征」の折り大山積大神の子孫にあたる小千命が、瀬戸内海の治安と航海の安全を祈願して、祖先の大山積大神を祀ったのが始まりとされています。奈良時代の養老3年(719年)に小千命の子孫である越智玉澄(おちのたまずみ)が現在地に社殿を造営したと伝えられています。 平安時代初期に定められ、終戦まであった神社の格式規定の「延喜式(えんぎしき)」では名神大社に列し伊予一の宮となり、太平洋戦争の終わりまでは国(令制国)や都道府県から幣帛乃至幣帛料を支弁される国幣大社となっていました。 日本総鎮守、大山積明神、あるいは三島大明神、大三島宮と呼ばれ、朝廷から一般民衆まで幅広い信仰を集め、おおよそ一万社ある大山積大神を祀る神社の総本社となっています。
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