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旧海軍大社基地関連施設群
(平成二十三年八月 斐川町により設置された説明板より) ここは太平洋戦争末期の昭和二十年(一九四五)三月から六月にかけて、旧簸川郡出西村地内の新川廃川地を中心に建設された旧海軍航空基地です。基地には滑走路のほか、誘導路、魚雷調整庫、爆弾格...
納庫など主要施設があり、今も山麓の谷あいに名残りを見ることができます。滑走路の建設作業には、舞鶴海軍鎮守府から約一〇〇〇人の将兵や美保基地から飛行予科練習生(予科練)があたり、地元民や学童たちも動員されました。また各村の国民学校は宿舎にあてられていました。飛行機が実際に発着した舗装面は、延長一五〇〇メートル、幅六〇メートルでした。飛行隊員として第五航空艦隊所属約八〇人が配属され、搭乗する飛行機は、最新鋭の陸上攻撃機「銀河」で、常時約五〇機が配備されていました。ここから「銀河」が終戦まで数度南方の海上へ飛び立っていきました。「銀河」に装着された人間爆弾「桜花」も配備されていましたが、使われずに終戦となりました。 平成二十三年八月 斐川町
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