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平家谷
源平の合戦に敗れた平家の一団が、源氏の追っ手を逃れてやって来た場所とされ、沼隈町の中央の山間の横倉、その昔、馬の鞍が横に傾いたことから横倉と地名が付いたと伝えられ、平家伝説を今に伝える地域として〝平家谷″と呼ばれています。平家谷は、平家落人...
の里と言われ、平家の武将が鐙(あぶみ)を落としたという鐙峠(あぶみとうげ)や、一行が八日間ひそんだという八日谷、武将が大岩めがけ「わが武運いかに」と刀で切りつけ刀の形を残していたとされる刀岩、乗越(のりこし)、的場(まとば)、弓場(ゆみば)などの地名に、当時を偲ぶことができ、平清盛の甥の通盛(みちもり)とその妻小宰相(こさいしょう)を祀った通盛神社、平家を象徴する赤い旗が祀られている赤幡神社など平家ゆかりの遺跡が多く残っており、平家にまつわる伝説が語り継がれています。
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