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村上水軍
室町時代から戦国時代にかけて瀬戸内海を本拠地にして活躍した「村上水軍」は、瀬戸内海を航行する船から「帆別銭(ほべちせん)」と称する通行税を徴収し、欲しいままに水軍王国として勢力拡大をしていき、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の旗を掲げて朝鮮...
半島から中国、遠くは東南アジアまで活躍の場を広げて行きました。時には貿易を行い、時には海賊となり「倭寇(わこう)」と呼ばれ、人々に恐れられていました。時の足利幕府は海外からの苦情に頭を悩ませていたと言われています。戦国時代になるとその勢力は益々拡大し、周辺大名からも恐れられ、あの織田信長でさえ味方にしようとした程でした。村上水軍はそれぞれ本拠地とした島の名前から、「因島村上水軍」「野島村上水軍」「来島村上水軍」の三家に分かれていましたが、強固な同族意識により固く結ばれており、後には「三島村上氏」とも称される程でした。その中で最大の勢力を誇っていたのが因島村上氏で、その領土は十一万五千石にものぼり、それに貿易や通行税を加えると五十万石近い収入があった「海の大名」と伝えられています。 それ程の勢力を誇った村上水軍も豊臣秀吉の天下統一により次第に勢力は衰え、時代から取り残されて行ってしまいました。
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