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しまなみ海道 ②生口島~伯方島

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大山祇神社と水軍

国宝及び国の重要文化財に指定されている武具類の約八割が大山祇神社に収蔵されていると言われているのは、水軍との繋がりが大きく関係していると考えられています。 大山祇神社を創建したと伝えられる小千命の子孫は後に越智氏を名乗り、大山祇神社の祭司...

と島の政治の両方を司る様になり、その後大祝(おおほうりけ)家と河野(こうの)家に分かれて大祝家が祭祀を司り、河野家は政治に専念する様になりました。周辺を支配する様になった河野家は水軍を組織して勢力を伸ばし、三島水軍とも伊予水軍とも言われた水軍は、歴史上の重要な局面の大半に渡って姿を現し輝ける功績を残したとされ、天智(てんじ)天皇時代の白村江(はくすきのえ)の海戦(663年)、平安時代中期の藤原純友の乱(941年)、源平の決戦となった壇ノ浦の合戦(1185年)、国難となった元寇の役(げんこうのえき)、そして南北朝時代の海戦とすべての海戦で勝敗を決定づける活躍をしたとされ、時の中央政府をも脅かす実力を備えていました。大山祇神社と関係の深い河野水軍はもとより、多くの武将たちが戦勝祈願や戦勝お礼に参拝し、その際に納めた幾多の奉納品がこの地に残っていることが大いに頷けられます。

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