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今治市
四国の北西部、高縄半島の北東海岸にあり、来島海峡を挟んで芸予諸島と向き合った瀬戸内海の中央部に位置し瀬戸内海交通の要衝として古くから栄えていました。 古代には伊予国の政治の中心だった所で、今治市域南部の桜井には国分寺と国分尼寺(こくぶんに...
じ)が造営されていました。町として発展したのは江戸時代今治城が築かれてからで、古くは「今針」とか「今張」と記されていましたが、慶長5年(1600年)に、この地を与えられた藤堂高虎(とうどうたかとら)が慶長9年(1604年)に城を完成させその時に今治城と命名して以来、今日の今治の字が用いられるようになりました。高虎が伊勢へ国替えとなった後は、松山藩主の弟、松平(久松)定房が三百万石をもって城主となり、その後三万五千石の城下町として栄えました。 大正9年(1920年)には県下で松山市に次いで二番目に市政を敷き、大正11年(1922年)には今治港は四国最初の条約や法令によって外国との貿易に使用される港開港場(かいこうば)として賑わいました。昭和20年(1945年)の戦災で市街地のほとんどが焼失してしまいましたが、その後の復興は目覚ましく、商工観光都市として瀬戸内海中部の中核都市として発展して行きました。
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