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山陰 ⑥稲佐の浜周辺

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出雲の阿国

安土桃山時代に、現在の歌舞伎の原点である 『かぶき踊り』 を創始したとされる女性。 出雲大社から稲佐の浜に向かう神迎の道の右側に「出雲の阿国終焉の地」があります。 大社町の鍛冶職中村三右衛門の子で、出雲大社の巫子であったといわれ、天正の...

頃に出雲大社本殿の修復勧進のため京都へ上がり、慶長8年(1603年)に念仏御踊りで世間の人気を集め、豊臣秀吉や徳川家康の御前でもこの歌舞伎踊りを披露するほどに名をあげ、「天下一阿国」として知られるようになりました。狂言師三十郎の影響を受けており、劇の要素を取り入れた「かぶき踊り」を創作し、その踊りは「阿国かぶき」と呼ばれていました。晩年は大社に戻り尼となったと伝えられています。 江戸時代になると、女性が舞台に立つことを禁止する制度ができ、寛永6年(1629年)に歌舞伎は風紀を乱すといった理由で上演を禁じられてしまいました。その後、歌舞伎役者は男性のみとなり、現在までその形式が継承されています。 また、奉納山の中腹には昭和11年(1936年)に、松竹株式会社の松竹社長の呼びかけで、中村歌右衛門さんをはじめ歌舞伎の名優達や水谷八重子さんなどが参加して建てられた出雲の阿国の記念の塔があります。

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