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日御碕神社
奈良時代の天平7年(735年)の天皇の命令としての勅に、『出雲国日御碕清江の浜に日沈の宮を建て日御碕大神宮と称して日の本の夜を譲る』とあらわされています。天照大神を祀る『下の宮』と素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る『上の宮』とからなり、下の...
本社(日沈の宮・ひしずみのみや)は天暦2年(948年)に村上天皇の勅命により祀られ、上の本社(神の宮)は安寧天皇13年(紀元前536年)、勅命により祀られ、総称して日御碕大神宮とされました。 花崗岩の鳥居をくぐり、楼門を入った正面にあるのが下の宮で、上の宮は右手の小高いところに建っています。両社とも平入り拝殿と本殿が続いた権現造りで、楼門や回廊を含めたすべてが国の重要文化財にしてされています。 現在の社殿は、3代将軍・徳川家光の命により、幕府直轄工事として日光東照宮完成直後の寛永十一年(1634年)に、松江城主であった京極忠高(きょうごく ただたか)が着工し、忠高の死後は松江松平家の初代直政(なおまさ)が引き継ぎ十年を掛けて、寛永二十一年(1644年)に完成した桃山時代の代表的な遺構です。 両本殿の内部の天井と壁は、狩野・土佐派の画家により装飾されています。 社宝のうち、源頼朝が寄進したと伝えられる『白糸威鎧兜(しらいとよろいかぶと)』は国宝に、南北朝時代の武将であった名和長年が寄進したとされる『藍革威腹巻(あいかわおどしはらまき)』は国の重要文化財に指定されています。
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