3
万葉歌人・大伴旅人
飛鳥時代から奈良時代にかけての公卿(司法・行政・立法を司る最高国家機関を指す太政官の最高幹部として国政を担う職位)で万葉集に和歌作品が78首選出され万葉の歌人でもあった大友旅人(おおとものたびびと)が 、『我妹子(わぎもこ)が 見し鞆の浦の...
むろの木は 常世(とこよ)にあれど 見し人ぞなき』、『鞆の浦の 磯のむろ木 見むごとに 相見し妹は 忘らえめやも』 とこの地を詠んでいます。 この歌は 天二年庚午(かうご)の冬十二月に、大伴旅人(おほとものたびと)が大宰師(大宰府の長官)としての三年近い任期を終えて、奈良へ戻るときに詠んだ五首のうちの歌のひとつであり 『大宰府に赴任してくるときに妻と見た鞆の浦のむろの木は変わらずあるのに、あの時一緒に見た妻は今はもういない』 『これから先も鞆の浦のむろの木を見るたびに妻を思い出すだろう』 と大宰府に来てすぐに亡くなった妻を偲ぶ想いが込めれています。
次のポイントへ ポイント選択へ戻る