31
鞆幕府
室町幕府第15代将軍の足利義昭は織田信長と対立し、天正元年(1573年)に京都を追われ、流浪を重ねながら毛利輝元の庇護を受け鞆に身を寄せます。一般的には義昭が京都を離れた時点(1573年)で室町幕府は滅んだとされていますが、義昭はその後も征...
夷大将軍の地位にあったこと、毛利輝元を副将軍に据えたこと、鞆には足利氏の近臣である伊勢氏・上野氏・大館氏など、多数の名門武家が集まり、奉公衆、奉行衆などが揃っていたため幕府としての体裁を整えることができたこと、そして、幕府直轄下の寺院を支配して援助を得たことなど、将軍としての大きな影響力をもっていました。近年の研究では諸説ありますが、義昭が鞆を去る1587年までの11年間の政権を「鞆幕府」と呼んでいます。
次のポイントへ ポイント選択へ戻る