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圓福寺・大可島跡
鞆の港を形づくっている岬の大可島は、名前の通り以前は島でしたが、江戸時代の初めに安芸備後を与えられた福島正則によって埋め立てられ、陸続きとなりました。 南北朝の頃は南朝方と北朝方の激戦のあった場所として 『太平記』 にも記されており、当時...
は大可島(おおがしま)城が建っていました。1610年頃に大可島跡に圓福寺が建立され、かつては朝鮮通信使の上官の常宿や、いろは丸事件の際の紀州藩の宿舎としても使用されたとされています。 江戸時代の漢詩会、歌会、句会の舞台にもなった境内には 『疑(うたがう)なうし保のはなも 浦の春』 という芭蕉の句碑があります。
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