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弁天島
昔、近江の藤原正道という武士が、安芸の宮島の参拝帰りにこの島に立ち寄った際に、家伝の宝刀を海に落としてしまいました。 正道はその刀を拾い上げてくれた者には銭百貫門を与えると、土地の人に頼みましたが、このあたりの海は深く、潮の流れも早く、鱶...
(ふか)も生息している場所であった為に誰も応じてはくれませんでした。 そこで正道は 『鞆の浦は昔から音に聞えた海人の里と聞いているのに海に入って刀を拾う勇者はいないのか』 とののしると、ひとりの若者が郷土の誇りを守る為に、この役を引き受け海に入って行き、刀をくわえて上がってきました。しかし、既に足は鱶に食いちぎられおり、刀を渡すと息絶えてしまいました。正道はこのありさまを見て反省し、銭百貫門で十一重の石塔を建て、若者の供養をしたと伝えられています。現在では石塔の一部は崩れていますが、文永8年(1271年)の銘が見て取れます。
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