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因島
村上水軍のふるさととして、また造船の島として知られる因島は、面積およそ35㎢、昭和28年(1953年)に市町村合併で因島市となり全国でも数少ない一島一市となりましたが、平成18年(2006年)には市町村合併で尾道市に再編されました。 かつ...
ては、瀬戸内海に浮かぶ芸予諸島の中心的存在で、室町時代から戦国時代にかけて瀬戸内海に猛威をふるった村上水軍の本拠地が置かれたとされ、江戸時代には広島藩領となっていました。明治時代に入ると、造船業が盛んになり造船の島として知られるようになりました。 島内にある標高350mの白滝山(しらたきやま)には、戦国時代の永禄12年(1569年)、瀬戸内海航路を掌握した因島村上水軍第6代の村上吉充(むらかみよしみつ)が布刈瀬戸を眼下にする白滝山に見張所を置き、観音堂を建立したとされています。山頂付近に点在する五百羅漢像の石仏は、1830年に神道、儒教、仏教、邪蘇(やそ=キリスト教)などを統合した一観教の創始者、柏原伝六とその弟子たちが3年余りの年月をかけ作られたものと伝えられています。 また、明治末期から昭和40年ごろまで、きく科の多年草である除虫菊が広く因島で栽培されていました。除虫菊は殺虫剤・蚊取り線香の原料になることから、化学薬品の普及により産業としての役割を終えましたが、現在では観光用として栽培され人々の心を癒しています。因島の白滝山と除虫菊の風景は「にほんの里100選」にも選定されています。
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