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山陰 ③大社町周辺

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名物・出雲そば

出雲地方を代表する食文化のひとつに『出雲そば』があります。 寒さに強く収穫までのサイクルが短く、やせた土地でも栽培ができる蕎麦栽培が奥出雲の地域で非常に栄えていました。それから松江藩初代藩主となる松平直政が信濃国から国替えとなった際に、信...

濃から優秀なそば職人を一緒に連れてきたことが、そば文化をさらに定着させたといわれています。 また、出雲地方では奥の院参り(出雲大社、日御碕神社、美保神社、大山寺、一畑寺)の際に、門前のそば屋で蕎麦を食べるのが庶民の楽しみであったとされ、「神在月(かみありづき)」に行われる「神在祭(かみありさい)」(通称「お忌みさん」)の際、多くの参拝者が訪れるので神社の周りに屋台のそば屋が立ち並びましたが、店内での調理と違って麺を水で締めることが難しいこともあり、身体の温まる「釜揚げ」で新蕎麦を提供されていました。「釜揚げそば」は、出雲を去る神々を見送る儀式「神去出祭(からさでさい)」にちなんで、「神去出蕎麦」また「お忌み蕎麦」と呼ばれていました。 出雲そばは粉の選別をせず、玄そば(殻のついたそばの実)をそのまま挽き込む「挽きぐるみ」と呼ばれる製粉方法で作られるため、一般的なそばと見比べると、色は黒っぽくなりますが、栄養価と香りが高く、風味と食感が良いとされています。そして食べ方にも大きな特徴があり、冷たい「割子そば」と温かい「釜揚げそば」があり、江戸時代、松江の城下町では、野外でそばを食べるために弁当のような四角い重箱に入れて持ち運んでいました。この地方では当時、重箱のことを割子と呼んでおり、それが割子そばの始まりと言われています。しかし、四角形だと隅が洗いにくく、不衛生との理由から、今のような円形の漆器に変わっていきました。つゆは土瓶のような容器に入れ、食べる前に器の中のそばに直接かけて食し、その当時のスタイルが、今も引き継がれています。 一方、釜上げそばは屋台売りのため都度洗うわけにはいかず、鍋や釜から茹でたそばを器に盛り、とろみのあるそば湯を入れて、つゆや薬味をかけて食べていたようで、そのスタイルが今も残り、割子そばと並んで出雲そばの代表的な食べ方になったとされています。 割子同様、自分好みでつゆを入れることで味の調節ができ、そばの栄養が溶け出したそば湯も一緒にいただけるため、割子と一味違った味が楽しめます。

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