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シーボルトの寄港
オランダの交易目的で作られたオランダ東インド会社の日本との交易の拠点として置かれた長崎出島のオランダ商館で、商館医を務めていたシーボルトが文政9年(1826年)に行われた江戸参府に同行することとなりました。当時の日本では、外国人が日本の国を...
自由に旅行することを禁止していたので、シーボルトにとっては日本のことを調べる絶好の機会でした。記録の中では、江戸参府のオランダ人と御纒御役人らを乗せた日吉丸が潮待ちのため鞆の浦に立ち寄り、鞆に入港した翌日に出港の予定でしたが、風悪く雨模様のため中村家の近くの浜に碇泊し、入港から出港迄2日にまたがり鞆の浦に上陸したとされています。シーボルトの日記にも、鞆の浦を訪問し医王寺などを見学したと記され、鞆の浦の町については 『鞆の浦は舟の往来で非常に活気があり、美しい小さな町である』 と残されており、オランダのライデン市にあるシーボルトハウスには、小松寺を訪れた時に入手したと思われる『備後土産小松寺庭松図』や『平重盛の手植えの松』の案内図が収蔵されています。 また、後に保命酒醸造の中村家八代政顕が文政九年(1826)に書いた日記にも、シーボルトが鞆に滞在していたと記されていたことが判明しています。
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