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福山 ②鞆の浦周辺

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鞆城(鞆の浦歴史民俗資料館)

南北朝時代の鞆の浦の港湾施設の近く、現在の圓福寺の地に大可島城が築かれていました。 しかし天文22年(1553年)頃に山陰地方で活動し、戦国大名となった一族の尼子氏への抑えとして、毛利元就の命により備後地方の豪族である渡辺氏が、市街中心部...

の丘陵に新たに『鞆要害』を築いたとされ、これが後の鞆城の礎となったとされています。 天正4年(1576年)、室町幕府最後の将軍、足利義昭が織田信長によって京都を追われ、毛利氏を頼って鞆に滞在し、信長に対抗して 『鞆幕府』 をつくったと伝えられています。しかしこの 『鞆幕府』 はまもなく倒され、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後で、豊臣秀吉子飼いの7人とされる七将のひとりであった福島正則(ふくしま まさのり)が、この鞆要害を城郭として大きく整備し、三層の天守閣のある城を建てました。しかし、慶長20年(1615年)6月13日に江戸幕府が制定した法令で、諸大名に対し、居城以外のすべての城の破却を命じた 『一国一城令』 により壊され、現在は石垣の一部が残っているだけとなっています。 また、その跡地には昭和63年(1988年)に、鞆の浦を中心とする瀬戸内の歴史と文化を紹介する施設として鞆の浦歴史民俗資料館が建設された他、宮城道雄の像や毛利家にゆかりのある早毛利稲荷神社の社が鎮座しています。

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